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マレーシアNo3 マラッカ

No2の説のほか、小国だったマラッカは明国の後見を得て、マレー半島で初めて王国が誕生した。中国より27,500人の船団が寄港。その一部が残り(男性ばかりだった)マラッカの娘、周辺の娘と結婚した。その子孫が、貿易で莫大な富を得て優雅な生活を送った人々をプラナカンと呼ぶ。ババは、男性。ニョニャは、女性。

繁栄に目をつけたのがポルトガル、その後オランダ、イギリス時代によりそれぞれの国の統治下で生活。そして、しなやかな心で各国の文化を取り入れながら、自分たちのセンスで融合させ、プラナカンと呼ばれる独特の文化を育んだのではないだろうか。

P1010646w400_3 こんな家もありました。写真を大きくして(写真の上でクリックすると大きくなる)見ていただくと分かりますが、天井がなく隙間だらけ。明かりを取り 入れ、風通しもよくする、暑いところならではの生活の知恵ですね。P1010672w400_3

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オランダ広場は、町の中心にあり、教会となっている。暑い中、徒歩で散歩。疲れてホテルでお昼寝。

日が傾いてから、出かける。P1010690w400 P1010684w400 

セント・フランシスコ・ザビエル教会。入り口でよく来たと握手で迎えられ、にわか信者となる。ひざまずきミサが行われ、賛美歌を歌う。私たちは、ただ座っているだけだったが、初体験。今日は、中国人のミサらしい。

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コメント

ようこ姫さん
マレーシャの文化文明の歴史を教わった
気分ですm(._.)m

   imaichi

投稿: imaichi | 2007年9月 3日 (月) 09時26分

短くまとめましたので、はんじもんのところが、あると思いますが・・・あしからず・・・
マラッカの貿易の拠点が、シンガポールに移ってから衰退していき、従ってシンガポールにもプラナカンがいるそうです。シンガポールへ行った時は、知らないものだから、眼中になかったです。

投稿: 姫 | 2007年9月 3日 (月) 17時38分

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